物見岩から神津牧場(信濃田口)

木曜山行では珍しい高原逍遥となった。すでにほとんどの木々は葉を落としていて、晩秋の風情が濃かった。そのおかげで歩道をゆく人も誰ひとりおらず、ごくのんびりと四囲の景色を楽しみながら歩くことができた。車道が縦横に通じた今と、大島亮吉の描いた大正時代のこの地とはまるで違ってはいるだろうが、物見岩から望む山々のかたちは、たかだか80年くらいではさほど変わってはいまい。山はありがたいものである。
篠井山(篠井山)

久しぶりとなる一泊山行、宿は奥山温泉。篠井山頂からは富士山もくっきりと望むことができた。山に登りながらも心はすでに夜の宴会へ。奥山といっても近代設備の整った豪華な建物である。他の客がいないとあっては全館貸切、広い湯船も独占である。夜も何の遠慮があろう。持ち寄った食材や酒で酒池肉林、食っては入湯、飲んでは入湯、酒のせいか湯のせいか、ゆでだこのような頭を並べて夜は更けた。
高ドッキョウ(篠井山)

朝もはよから温泉に浸かり、これから山登りとは思えない。いずれも少々重い身体に鞭打って、徳間峠への径を歩き出したが、これがなかなかの難路で歩く人もまれのようだ。怪しげな踏跡を静岡県境の峠へ達したが、そこから高ドッキョウまでがまた一筋縄ではいかなかった。ロープにすがって急坂を登り、岩を乗り越え、やっとこさ頂上に着いた。頂上からはうっすらと富士の稜線を望むことができた。
大菩薩嶺から石丸峠(大菩薩峠)

大菩薩湖の北岸から歩き出す。できて間もない湖面の彼方に見える富士の姿は新鮮だが違和感もある。天気はいいが、強風には参った。せっかくの展望だが稜線上でゆっくり昼食というわけにはとてもいかない。雷岩から一気に下り避難小屋で一息ついた。介山荘では、古いなじみの横山さんがご同行とあって、歓待を受けた。新築された介山荘は木の香も新しい。暖かい部屋から窓越しに見る南アルプスは、まるで一幅の絵だった。
峰雄山(信濃中島)

ずいぶん前から気になっていた山だが登らないままだった。総勢4人にクリオをプラスして、三川の集落から、その名も栗生坂(くりおざか)を車で登った。峠から西へと尾根をたどる。少々の急登はあるものの、概して穏やかで気分のいい尾根径を1時間半で頂上に着いた。周りの木が低くわりと眺めがきく。晴れた日なら八ヶ岳も望めるだろう。南には天狗山から男山の連なりが、北にはすぐ御座山が大きく、とおく浅間山もかすんで見えた。
越前岳(愛鷹山)

御殿場あたりは雲の出やすいところで、登山口を目指して車を走らせるうちには早くも雲が富士にもかかっていた。昼ごろ越前岳の頂上に着く頃には、富士の山頂は雲にほとんどおおわれてしまった。その代わり、ふだん山梨県の山にばかり登っている私たちには滅多に見られない海が大きく見渡せたのは新鮮であった。伊豆半島の西海岸がうねうねと遠ざかるさまはまるで鳥瞰図でも眺めているようだった。
三ッ峠山〜清八山(河口湖東部)

飽きるほど自分でも見たし人の写真でも見た三ツ峠の富士である。私は富士を撮るとき頂上を左右に少しずらして撮るのだが、三ツ峠の場合ずらしようがない。どうしてもど真ん中に置いてしまう。つまりはそれが三ツ峠の富士なのだと思う。清八峠へ向かうのは何年ぶりだろうか。山の浅い御坂でも、このあたりはわりと山深い感じがする。清八山の西の鞍部にあった、当時の第二電電のどでかい電波塔がきれいさっぱりなくなっているのには驚いた。
荒倉山から太平山(韮崎、鳳凰山)

今年最後の木曜山行となった。20年くらい前には径をさがしながら登るような山だった荒倉山も、今では何の心配もない山だが、この頂上から南方面に延びる尾根は山仕事以外、純粋な山歩きで入山する人はほとんどいない山域である。熊の糞を10個近くも見つけた。1117m三角点(点名円明)から入戸野への下りで、倒れた観音様を起こしたりした。暗くなる寸前に里におりた。下山後ロッジで1年の無事を祝った。
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